菌の物語

第7巻
第4話黙って坐れば、ぴたりと当たる -腸相と人相-

江戸時代の観相学者、水野南北(1760-1834)。「黙って坐ればぴたりと当たる」「万に一つの誤りもなし」と、巷で大評判となった人相占いの元祖です。幼少期に両親を亡くした南北は、10歳の頃から酒を覚え、賭博と喧嘩に明け暮れる荒んだ日々を過ごしていました。そして18歳の時に酒代欲しさに悪事を働き、一年間投獄されてしまいます。

出所後、たまたま出逢った乞食坊主から、「剣難の相であと4~5か月の命」と余命宣告され、愕然とします。怖くなった南北は、助かる唯一の方法は出家であると思い、禅寺に入門を請いますが、住職は天下稀に見るほどの悪相・凶相であった南北の顔を見て、「向こう半年間麦と大豆だけの食事を続けることができたなら、入門を許そう」と告げました。助かりたい一心の南北は、この条件を忠実に実行に移し、半年間、麦と大豆だけの食事を実践するのです。

半年間の食事修行の後、死相が出ていると告げた乞食坊主と再会しますが、南北の顔を見るなり坊主は驚いて、「あれほどの剣難の相が消えている。貴方は何か大きな功徳を積んだに違いない」と言いました。南北が食事を変えて半年間貫き通したことを話したところ、それが陰徳を積んだことになって、彼の運勢を変えてしまった、と言うのです。

これが契機となり、南北は心機一転、観相家の道を志すことを決意します。乞食坊主(水野海常)の元で修行したのち、21歳の時に相学修行の旅に出た南北は、まず3年間髪結の小僧になって人相を観察。次の3年間は、風呂屋の三助をして裸体(五体)を観察。さらに3年間、火葬場の隠亡(死体を処理する人)をして死体を観察し続けました。生きた人間の観察だけでは物足りなくなった南北は、こっそり処刑場に赴き、処刑者の腹を裂き、内臓を調べてみると、“悲運な死に方をした人は共通して腸相が悪い”ということを発見します。食事によって、その人の運勢が大きく変わっていくと確信を得た南北は、人相を見る際、まず食生活を尋ねてから吉凶を占うことで、百発百中の的中率となり、その名を世に知らしめたのです。

「腸相」とは、わたしたちが食べたものの集積によって変わってきます。偏った食生活や医薬品の乱用、過度の飲酒や喫煙等も、腸相が悪くなります。腸相を良くするには、粗食を心がけ、腸内細菌が喜ぶ発酵食品をたっぷりと摂ってあげることが重要です。「腸相が悪くなると運も悪くなる。」日本一の観相家・水野南北は、そう断言しています。

「食は命なり。人の命運、その総て食に在り。禍を福に転ずるの道は食に在り。」—水野 南北