菌の物語

第2巻
第8話紅茶と大英帝国とスパイと

紅茶といえば、発酵食品の代表格であり、世界中の人々に親しまれ、嗜好飲料としてコーヒーと人気を二分しています。そんな紅茶は大英帝国によって世界に広められましたが、紅茶の茶葉はイギリスには自生していません。ではどこから紅茶はもたらされているかというと、かつての英植民地であったインドやスリランカ(セイロン)からです。

これらの地では優良な茶葉が育まれ、地元の人々もこぞって紅茶を嗜むため、一大紅茶文化圏を形成していますが、実はかの地で紅茶が飲まれるようになったのは、今からほんの百年程前でしかありません。それまではインドやスリランカにはお茶を飲むという習慣がなく、そもそも、チャノキという茶葉を実らす植物自体が発見されていませんでした。イギリス人がチャノキを持ち込み、大規模に農園をつくり、現地の人々に紅茶を飲む習慣を根付かせたのです。

イギリスで紅茶が飲まれるようになったのは十六世紀半ばと言われ、既に貴族の間で楽しまれていたと言われています。これは大英帝国が植民地で紅茶を自製するようになる一世紀以上前なのです。その間、彼らが紅茶をどこから手に入れていたかというと、それは中国からでした。中国では、遥か唐の時代から喫茶の習慣があったと言われ、お茶は長らく中国の専売特許でした。市場は中国産に独占され、製法も、国外流出を防ぐために厳しく秘匿されていました。そのため、大英帝国は毎年大量の茶葉を中国から輸入し、一方で英国からの輸出は小規模に留まっていたため、多額の貿易赤字を引き起こし、悩みの種になっていました。

この不均衡を逆転しようとして英国が引き起こしたのがアヘン戦争であり、これ以降、英国が狙い通りに、中国における政経を操ることになります。そしてもう一つ英国が喉から手が出るほど欲していたものは、この茶葉生産の主導権でした。当時の貿易市場では、茶葉は、陶器と合わせて非常に大きなマーケットを形成しており、英国では、水質が紅茶を淹れるのに適していることも相まって、急速に紅茶の人気が高まっていました。それにも関わらず、欧州では、製法すら知ることができなかったために、需要を賄うためにひたすら言い値で中国から買い続けるしかありませんでした。

これを打開するためにイギリスは一人の男を中国に送り込みます。彼の名はロバート・フォーチュン。表向きは植物学者であった彼の真の姿は、中国から紅茶の秘密を奪うべく、英国政府から密命を帯びたスパイでした。彼は、幾度の失敗にもめげずに、辮髪にチャイナ服の出で立ちで完璧に中国人に成り済まし、とうとう中国の奥地からチャノキの苗木とお茶の製法を持ち帰ることに成功します。この時に初めて、紅茶と緑茶が同じ茶葉からできていることが欧州にも知られるところとなりました。

さらに彼は、持ち帰った苗木をインドに持ち込み、プランテーションで大量栽培することにも成功します。この時誕生したのがダージリンティーであり、これによって中国のお茶の独占権は崩れ、安価で良質な種々のお茶を大量に生産できるようになった英国は、世界中に紅茶を広めていきます。

その後の大英帝国の隆盛と世界覇権は誰もが知る所ですが、その背景に、紅茶と、紅茶を愛する英国人の執念が大きく関わっていたことはあまり知られていないかと思います。 一つの発酵食品を巡って激しい争奪戦が繰り広げられ、一国の運命をも左右する…… まさに、「発酵食品を制する者は、世界を制す」と言えるのではないでしょうか。