Vol.38 ベートーヴェンと運命 | BIOTEC公式ホームページ Vol.38 ベートーヴェンと運命 – BIOTEC公式ホームページ

メガヘルス通信

2021/03/27Vol.38 ベートーヴェンと運命

息子1歳3ヶ月。満開の桜の前で。

 桜舞う季節になりました。コロナで宴会なども自粛の日々ですが、心に花を咲かせるような日々を送っていらっしゃいますでしょうか。
 私は先日、宝塚歌劇団の『f f f -フォルティッシッシモ- ~歓喜に歌え!~』を観劇して参りました。これが、予想外にも・・・というとおかしいのですが、執行草舟思想と完全一致の内容で、あまりにも「うんうん、そうそう!」と感激したので、皆様にもご紹介したいと思います。

【以下、劇内容のネタバレを多分に含みます。知りたくない方は読まないでください!】

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【あらすじ】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの話。ベートーヴェンは幼い頃から不幸な家庭に育ち、成長し音楽家としての名声を得るも聴覚を失い、貴族の恋人にも裏切られる。一時は思想的に心酔したナポレオンやゲーテにもついには落胆し、初恋の女性も亡くし、その死に目にも会えない。そんなベートーヴェンの耳に一人の謎の女の声だけが聞こえ、彼女はいつも近くに寄り添っているのだが、ベートーヴェンは彼女を疫病神だと感じ、疎ましく思う。そして何もかもを失って絶望の淵にいるベートーヴェンのもとに、謎の女は銃口を突きつけて現れ、自らがベートーヴェンだけでなくこれまでのすべての人間たちの不幸であり嘆きそのものであることを告げる。彼女はベートーヴェンだけではなく、すべての人と常にともにあったのだ。するとベートーヴェンは彼女を抱きしめ、彼女が「運命」であることがわかったと言い、自分は運命を抱きしめ、愛するのだと宣言する。そうすると、運命は「不幸が愛されることにより喜びの歌に変わる」という趣旨のことを言ってベートーヴェンとともに共同で『歓喜の歌』を作曲する。結局ベートーヴェンは、運命を愛することによってその不幸に打ち勝ち、無上の喜びを表現することが出来たのだ。
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 いかがでしょうか。執行草舟の書籍を深く読み込んでいらっしゃる皆様なら、「ああ、ああ。知ってる!運命とはそういうものだよな!ベートーヴェンもそうだったのか!」と感じられたに違いないでしょう。
 そうです。人間の運命とは、現れたときには本人の希望通りには動かない厄介者であり、多くの場合は嘆きや悲しみを伴い、あまつさえ本人にとっては銃口を突きつけられたかのような感覚さえ感じられるものなのです。たいていの人は劇中でベートーヴェンがしていたように、彼女を認めず、助言を聞き流し、厄介払いしようとするでしょう。それなのに、運命とは実は優しく、本人の気づかないうちに何度も現れ、励まし、人生に寄り添い続けてくれる存在なのだということに、いったい幾人の人が気づいていることでしょうか。
 ここで、一つの問いがあります。「幸せとは何か」というもの。快楽ですか?充足感ですか?――私はそうは思いません。一時の多幸感ではなく、人生をひっくるめた「幸福」とは、その人の悲しみや嘆き、それどころかその人をその人たらしめている社会や歴史の悲哀までもを包含した「運命」が、実はずっと自分に寄り添い、労り続けてくれていたということを本当の意味で受け入れ、愛することです。悲しみや嘆きといった「不幸」が自分の敵ではなく味方であると知って抱きしめたときに、人は自分の人生のすべてを肯定することが出来るようになるのです。
 その時に、きっと私たちの魂にも『歓喜の歌』が鳴り響くことでしょう。劇中では、天使もともに歓喜し、ベートーヴェンの魂が天に召されるように光り輝く表現がされていました。私たちも不幸を敵にせずに、むしろ愛することで幸福に近づいていきたいですね。

息子生後8ヶ月。おもちゃのピアノを弾く。
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