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メガヘルス通信

2019/04/02Vol.8 大伴旅人の涙

安田靫彦 画「持節大将軍 -大伴旅人-」

 新元号が「令和」に決まりました。この言葉の出典は万葉集にある梅花の歌の序文です。この梅花の歌が詠まれたのは西暦730年(天平2年)正月、当時の太宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人の邸宅で開かれた梅花の宴でのことです。
 大伴旅人とその息子であり万葉集の編者として知られる大伴家持は、大伴氏を祖とする我が執行家の祖先に当たります。新元号の由来を聞いた時には不思議なご縁を感じ、奈良時代と今とが一瞬にして繋がったという感覚を持ちました。
 実は、西暦728年(神亀5年)の夏に、旅人は大宰府のある筑紫の地にて、長年苦楽を共にしてきた正妻・大伴郎女(おおとものいらつめ)を病によって亡くしています。旅人は妻の病気を治そうと湯治に出掛けるなどの努力をしましたが、天命には逆らえなかったのです。京からの弔問客へ返した歌がこちら。

 世の中は空しきものと知る時し
 いよよますます悲しかりけり

古来から武門の家柄として名を馳せてきた大伴氏の氏上(うじのかみ)である旅人がこれだけ手放しの悲しみを表現したのですから、その喪失感の深さたるや、想像を絶するものがあります。
 「令和」の由来に絡むあの梅花の宴が開かれたのは、妻の死からおよそ一年半後のこと。一年の喪は明けたといっても、まだまだ妻を失った悲しみが心から消えていない時節のことだったのです。この宴には、初春の令月を最愛の妻と共に迎える事の出来なかった旅人の苦しみ、気淑く和らぐ風の中に消える空しき涙があったに違いないと私は考えます。旅人がそうであったように、自らの手に負えない悲しみや苦しみが襲ってくるのがこの世です。新しさや喜びの裏側にあるものを忘れずに、自分の内奥に生かしながら力強く生きてゆくことこそが、新しい時代「令和」の生き方であるように思えてなりません。

 

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