菌の物語

第7巻
第8話戸嶋靖昌 -故郷・秋田の味-

生命の持つ焔を燃え上がらせ、その情熱をキャンバスにぶつけ、名声やお金を一切求めずに「画家」として燃焼し切った戸嶋靖昌(1934-2006)。2020年10月24日~2021年1月10日の会期で、秋田県立美術館にて「戸嶋靖昌展-縄文の焔と闇-」が開催され、弊社の美術事業の柱である戸嶋靖昌記念館が、全面的に「企画協力」として参画しています。

さて、その戸嶋を育んだ秋田の地では、昔から発酵食品が多く食べられており、主に「米麹」を中心に据え、豊かな食文化を生み出してきました。

そもそも、乾燥した天候の太平洋側と違い、雪深く適度な湿り気のある秋田の土地では、農作物の生産に限りがあるため、食物を発酵させることにより、食物の貯蔵技術を高めてきた歴史があります。海にも山にも恵まれた秋田の地に住む人々は、昔から魚、野菜、果物、大豆などの食材と、麹によって発酵食・保存食を作り、独自の食文化を生み出してきたのです。この中核となるのが、豊富に収穫される米からつくる「米麹」。まさに「米麹」が秋田の大自然と、人間を結びつける役割を果たしてきたのです。

例えば、秋田の海岸沿いに位置する、男鹿半島の名物発酵食である魚と麹で作る「ハタハタのなれ鮨」。初冬の雷鳴轟く日本海では一斉にハタハタ漁が始まりますが、獲れたハタハタは水に漬けて塩抜きされ、麹を混ぜたご飯と生姜、海藻と塩を混ぜて重石をすると一ヶ月ほどでなれ鮨が完成し、正月には欠かせない祝い魚となるのです。また、魚醬として有名な「しょっつる」もハタハタから作られます。

また、内陸の横手盆地では、稲作が特に盛んであり、米と麹で作る「甘酒」と「どぶろく」が昭和まで各家庭で作られていました。他にも、野菜と麹の組み合わせとして、大根を囲炉裏の上で燻してから、塩と米糠で漬ける「いぶりがっこ」や、塩と米麹に漬ける漬物「三五八漬け」、珍しいものでは、男鹿から大館あたりの北内陸部で作られる「アケビのなれ鮨」などがあります。「アケビのなれ鮨」は、アケビの種を取り除き、皮の部分だけ残して米のとぎ汁でゆでた後に、モチ米をアケビの皮の中に詰め込み発酵させます。甘酸っぱくて紫色のヨーグルトのようになるのだとか。雪が積もると生鮮食品が取れない山深い地域では、このアケビのなれ鮨でビタミンを補給していたのです。

このように、古くから秋田では、ごく身近にある発酵食を豊富に食べる習慣がありました。「米」と「雪」の国である秋田特有の食文化が、戸嶋靖昌の、その生涯を画業に捧げ抜いた粘り強さと芯の強さを生み出したのかもしれません。ぜひ秋田へ、戸嶋靖昌の画業と食文化を味わう旅に出てみませんか。