菌の物語

第6巻
第2話キノコの語源 ―― 林 武

執行草舟コレクションにもその作品が所蔵されている林武(1896-1975)は、弊社の本社が位置する東京・麴町出身の洋画家です。執行草舟は、小学生の頃、自身が描いた雲の絵を林武に褒められ、頭をなでてもらった思い出があります。コレクションでは「薔薇」「婦人像」など、勢いのある、生命エネルギーに溢れた林武の作品が蒐集されています。

晩年の林武の画風は、厚く塗り重ねられた絵具と原色を主とした色使いが荒々しく、量感が押し寄せ、原始的な剥き出しの本能が見え隠れしています。また洋画家として活躍するのみならず、国学にも精通し国学者としても名を成しました。実は林家は代々、生粋の国学者の血筋で、その血は父祖から受け継がれたものでした。曾祖父・林圀雄は本居宣長の高弟と呼ばれた人で、本居学の正統を継いだ人物です。祖父・甕雄は和歌の俊秀をもって圀雄に見込まれて養子になり、圀雄とともに新潟の良寛和尚を訪ね、良寛の和歌の研究をしました。甕雄は、13歳になった息子の甕臣を江戸の平田銕胤の家に連れていき、息子を育ててくれと頼んで、また新潟に帰っていきました。そのとき息子の甕臣に、「おれは新潟へ来て歌を教えたりしているうちに、思わず時が経ってしまった。お前は江戸へ行って平田に学び、本居・平田の唱えた日本の古学を極め、日本固有の真の学問を成せ」と言ったといいます。父・甕臣は、平田銕胤の教えを受け、明治の日本語教育の地位についた国学者でした。『日本語原学』などの大著を遺し、研究熱心で家庭を顧みず、そのすべてを国学に捧げた人生でした。この父との関係がよく語られ、また林武の生涯がよく伝わるのが、林武著『美に生きる』で、執行草舟お勧めの一冊です。

その国学者の遺伝子を継承した林武は、父甕臣の影響で国語問題に関心を示し、画業とともに激しく情熱を注ぎました。その信念は「国語問題協議会」の理事長・会長を務めるまでに至ります。昭和46年に林武が記した『国語の建設』は、日本における国語と国語教育の軽視に非常な憂国の情を抱き、正しい国語の確立を訴えるために書かれた本です。その中で林武は、「き」がつく言葉は「気」が語源になっていると定義し、それに倣って「菌の語源は“り”」と記しています。“凝り”とは、集まること、凝固の意味があり、このことからキノコは「気のかたまり」を意味しているといえます。これと同様の定義で、「黴の語源は“気の錆び”」としています。“気の滞り”という意味でしょう。一般的にキノコの語源は倒れた木などに多く発生していることから、“木の子供”ということで「木の子」と名づけられたというのが定説ですが、日本語を代々研究してきた血筋と、長年培ってきた芸術的感性を合わせ持つ林武だからこそ、言葉のもつエネルギーや、歴史的背景を敏感に感じ取ることが出来たのでしょう。本著の最後に、林武は「日本人の一員として国学の家系に生まれ育ったことは宿命であり、それに天命と使命を感じてこの本を書いた」と記しています。