菌の物語

第5巻
第1話南方熊楠 ―― 粘菌の世界

和歌山県に生まれた南方熊楠(1867-1941)は、74年の生涯において、森羅万象あらゆるものに好奇心を向けました。その研究は菌類学のみならず、博物学、民俗学、天文学、人類学、考古学、生物学にまで及びました。日本を代表する民俗学者の柳田國男は、熊楠を「一生のほとんどが普通の人のなし得ないことのみで構成されている。日本人の可能性の極限である」と称賛し、破格の独創性に感嘆しています。

特に熊楠が心惹かれたのが「粘菌」の不可思議な生態でした。「粘菌」は“菌”という言葉が付くものの、実際には菌ではなく、原生生物(単細胞の生物、及び、多細胞でも組織化の程度の低い生物)です。粘菌は森の湿った場所に生息し、環境が良いとアメーバのような姿になって移動しますが、環境が悪くなると植物のように根を張って、胞子を飛ばし繁殖します。その生活環境に応じて、形態を変幻自在に操る生態から、「変形菌」とも呼ばれています。熊楠は、粘菌の菌類と原虫類の性質を備える、この柔軟さに着目しました。

さらに粘菌は単細胞だとはいえ、難解な迷路を解析する「智」を持ち合わせています。最近の研究では、粘菌が機能的な輸送ネットワークを設計していることが分かっています。関東圏の主な都市空間にあわせてエサを配置すると、粘菌はエサを繋ぐネットワークを形成します。このネットワークは、経済性、効率性、耐故障性という3つの機能性をうまく満たし、現実の鉄道網よりも優れた機能性を示したのです。粘菌は、現在「知性」とは何かを探る研究対象としても注目されています。もちろん粘菌は脳を持っているはずもありません。一体どうやって難解な迷路を解析し、ネットワークを形成するのかは、未だ謎のままです。熊楠はこの粘菌に、“精神や意思の起源があり、人間の生死の問題を解くヒントがある”と考えました。「生きた哲学概念」として粘菌を研究した結果、粘菌のもつ意思から森羅万象が生まれ、すべての事象の基盤になっていると説きます。更に「生と死の関係、その転換を考える上で、特別な生命体が存在する。―― 動植物の原始とも言うべき粘菌」との言葉も残しています。

「粘菌の父」と呼ばれた熊楠は、学位や名誉には一切目もくれず、生命の実相に迫り続け、3,500枚もの菌類図譜、4,000枚以上の藻の顕微鏡用プレパラート標本、そして、粘菌標本7000点近くを遺しました。その、森羅万象の源に最も近づいた人間とも言える熊楠の生き方は、弊社社長 執行草舟にも大きな影響を与えました。執行は、菌食・ミネラルの食品事業を創業するにあたり、熊楠の研究を通してその“智”の発想を得たと語っています。


「宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとす。これを智と称することかと思う」
                              ―― 南方熊楠