メガヘルス通信
本日より、メガヘルス通信よりもボリュームのある「執行真由美のコラム」と題したシリーズの配信を開始致します。今後は、通信とコラムとの二本立てでお楽しみ下さいませ。初回にあたる今回は、メガヘルスという考え方、生き方について話したいと思います。
メガヘルスという言葉を創った、弊社の創業者である執行草舟は、この言葉を「積極的健康法」であると表現しました。つまり、自分自身の生命を完全燃焼させて人生に体当たりで挑んでいくためには、それを行なえるだけの体と精神を積極的に養わなくてはならないということです。あなたの体と精神を養うのはあなた自身であって、他の誰もそれを代わりに行なってはくれません。すべては自己責任なのです。このことから逃げたり目を逸らすなら、人間として生きていく醍醐味の大部分を自ら捨ててしまうことになるでしょう。
皆さんはどんな人を見て素敵な人生を送っている人だと思いますか。活き活きしていると感じますか。人生に体当たりしていつも目を輝かせている人は、目の前のことから逃げない人です。自分に与えられた目の前のこと—それは仕事でもいいし、子育てでもいいし、誰にも理解されないかもしれないけれど自分が心を尽くして打ち込める何かでもいい—に全力でぶつかっている人は皆、不思議な魅力を放っているものです。
ここで私達が「この人は活き活きしている」と感じる、人が放つエネルギーの源は一体何なのでしょうか。それを執行草舟は「生命エネルギー」だと考えました。生命エネルギーはそもそも、「すべての物質に対して相応に働いている宇宙エネルギーの一種」であり、「すべての物質をその物質らしくしている力」(『生命の理念Ⅰ』p.21)なので、人以外にもすべての生物・物質に宿っているものです。
ギリシャ哲学の大家であるプラトン流に言うなら、「イデアの分有」にも近い話でしょう。今年は亥年で、私も年女なのですが、お正月には干支に因んで亥やうり坊の姿を年賀状やテレビ等で数多く目にする機会がありました。それらの亥一頭一頭は別の生き物であるにも関わらず、すべてきちんと「亥」に見えました。どの亥を見ても亥に見えるということは、亥の個性以前のところに「亥そのもの=亥のイデア」が存在し、個別の亥はその「亥のイデア」から亥らしさを分け与えられているので、どの個別の亥を見ても亥らしく見えるのだということです。
しかし、亥らしさの程度は個体によって様々です。こちらの亥はどう見ても立派な亥に見えたとしても、隣の亥は家畜豚のような印象に見えるかもしれないのです。言い換えれば、亥エネルギーの高い個体と低い個体があるというわけなのです。
これは人間にも当てはまる話ではないでしょうか。私達は「あの人は人間味のある人だ」とか、「それは人間としてやってはいけないことだ」とかいう言葉遣いを当たり前に受け止めています。「人間力」が高い、低いという言い方をすることもあります。やはり「人間らしさそのもの」があり、その人間エネルギーを有している程度は人によって違うということを前提としているのです。
では、亥も人間もひっくるめた「生命」として考えたらどうなるのでしょうか。生きとし生けるものを生かし、特に精神活動をその特徴とする人間にとっては精神をも含めた生を支えるエネルギーがあるのではないか―これがメガヘルスの思想の根底です。
そしてその生命エネルギーを、私達はまず第一に食物から摂っています。つまり、他の生物や物質の生命を頂くことによって自らのエネルギーとしているのです。言い換えれば、食事とは命の源であるエネルギーを奪い食べることなのです。他の生き物や物質から命を頂いたからには、その生命エネルギーを最大限に活用することが人間の義務であると言えましょう。そしてそれが、命そのものと命を育んだ宇宙への感謝と畏敬の表現となるのではないでしょうか。
メガヘルスの思想に基づいて、自らの生命エネルギーを体と精神の両面から高め、そしてこの世で直面する各々のお役目を自らの命が終わるその日まで全力で全うすることの出来る人が一人でも増えてくれることこそが、私の願いです。バイオテックの全ての事業は、人間が人間らしくその命を燃焼し、人間として死ぬためにあります。弊社の製品は健康食品でありながら、単なる健康長寿を目指してはいないのです。イギリスの哲学者であり経済学者でもあったJ.S.ミルは「満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。それと同じく、満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。」という言葉を残しています。人間はその生き方、生命エネルギーの使い方ひとつで、豚のようにも人間のようにもなれるのです。ならば、いつ訪れるか分からない死の日を、私は人間・執行真由美として迎えたいと思います。同じように考える全ての人間が自らに与えられた運命のお役目を全うするだけの体づくりと精神づくり―即ちメガヘルス―を実践するための「隅の親石(※参照)」となるべく、バイオテックの事業は存在しています。
※「隅の親石」:多くの人が重要性に気づかず捨て置いたものが、実は全てを支える根幹となる場合があるということ。(イザヤ28:16、詩篇118:22―23参照)