メガヘルス通信
少し前に、私はかねてからお稽古を付けていただいている茶道のお免状を頂きました。こちらは、その許状式の日に息子と一緒に撮った写真です。本来であれば春に行われるはずの許状式がコロナ禍の影響で秋に延期され、延期日には無事にお式が執り行われました。春であればまだ産後の体の回復もそこそこの時期だからと一抹の不安を抱いていたのですが、コロナ騒動の不幸中の幸いで、秋に延期になったお蔭で体力の回復もバッチリ。当日は着物で赤子を抱いて立ち写真を撮れるほどに元気だったのは、この慶事につけてとてもありがたいことでした。
お家元のお茶室にて行われた許状式はコロナ対策が非常によく考えられており、新時代で文化を生き残らせていくあり方を考えさせられるものでした。まず驚いたのが、お家元がフェイスシールド着用で姿を現されたときです。お茶室にプラスチック製のものがある - これだけでも意外性があるのに、しかもそれを着用されているのがお家元なのです。私は、知らず知らずのうちに「茶道とはこういうものだ」という固定観念に囚われて文化を新しく生きるものとしていく心を忘れていたことを恥じました。
遠州流茶道では始祖である遠州公の遺訓「書捨の文」という文章を大切にしていて、許状式のような正式の場では必ず皆で朗読します。この文章は茶の湯の道への姿勢のあり方が書かれているのですが、その中にこのような言葉があります。
「古き道具とても その昔は新し」(今は古くなった道具だとしても昔は新しかった)
「新しきとても 形よろしきは捨つべからず」(新しい道具だとしても形が美しいのであれば捨てるべきではない)
これは茶道具についてたとえボロボロでも古いものほど良いものだとか、たとえ美しくても新しいものは軽んじられるものだとか思い込まれがちな茶の湯の世界で、時代を経ても残ってゆく良いものとは何かということを気づかせてくれる言葉です。しかも、それは茶道具のみならず文化が残っていくということの意味を示唆しているように思われます。
2020年は全世界的な危機の中で社会のあり方そのものが変革を余儀なくされるときです。まさに温故知新の精神で、新しい方法であっても現代の社会に適合しつつ古き文化とも融和できる方法があれば積極的に取り入れていきたいものです。その中で、永く残る美しい物や方法を見つけることが出来れば、それこそが未来の文化を形作っていくのだと思います。私自身、波乱の世をネガティブに見るのではなく、自分たちの手で新しい時代や文化を作るチャンスとして捉えていきたいと思っています。