Vol.16 「見よ銀幕に」WEB版新登場! | BIOTEC公式ホームページ Vol.16 「見よ銀幕に」WEB版新登場! – BIOTEC公式ホームページ

メガヘルス通信

2019/08/09Vol.16 「見よ銀幕に」WEB版新登場!

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 予てより書籍版でお馴染みの『見よ銀幕に』がWEB版として新登場致しました!WEB版ではあらすじを省略し、草舟私見をダイレクトにお読み頂けます。便利なあいうえお順ボタン、キーワード検索機能もぜひご活用いただければ幸いです。
 今回は私が好きな草舟推奨映画の一つである『パッション』について改めてご紹介したいと思います。「パッション」とは、日本語で「受難」のこと。新約聖書の四福音書に描かれているイエス・キリストの生涯の中でも、その短い生涯のクライマックスで人間としての苦しみの限りを自らの身に受けて十字架上で死を迎えるまでの物語です。この映画では、「苦しみ」に焦点が当てられており、血まみれのイエスの苦しみと、そんな我が子の死への道行きを見ることになった聖母マリアの胸が張り裂けんばかりの苦悩に、観る者の心が寄り添えるような構成になっています。
 その十字架の道行きを映画を通して追体験する私たちの心に浮かぶのは、「こんな苦しみ、私には無理…」、「なぜここまで苦しむ必要があるのか!?」ということです。しかし、草舟推奨映画を愛する心ある皆様には、ヴィジュアルの苦しみから目を背けず、その苦しみさえも引き受けた人(イエス・キリストと聖母マリア)の心と出会って欲しいのです。
 実は、彼らの心と出会うヒントは、十字架の道行きが始まる前の場面にあります。映画は、イエスがゲッセマネの園で神に祈りを捧げるところから始まります。イエスは神のことを「アッバ(お父さん)」と呼び、本音を吐露します。「私を待ち受ける罠からお救い下さい」—これは人間・イエスの本音としては当然の内容です。「神の子」であっても、地上に生を享けた彼には、これから予感される苦しみの道はあまりにも辛すぎるからです。しかし、彼はそんな人間的な弱さとともに、運命を愛をもって受け入れる心の強さ—それを信仰と呼ぶのです—を持っていました。彼の祈りの結びはこうです。「出来ることならこの苦しみを遠ざけて下さい。でも私の望みより—御心(みこころ)のままに。」こうしてイエスは、人間的・肉体的弱さを、心によって超越したのです。彼は人間の限界を超えて、自らに運命を与える者(神)を全面的に受け入れたのです。その運命は、彼にとっては苦しみそのものでしたが、それは無意味な苦しみではなく、その裏にある「意味」をもたらすものであることを彼は悟っていたのだと思います。
 自らの腹を痛めて産んだ子を目の前で亡くした聖母マリアも、息子イエスと同じ心を共有していました。捕らえられ、連行されるイエスを見て、彼女は「主よ、時がきました。御心のままに」とつぶやきます。近付いてくる息子の死の裏にある運命的な「意味」のために、母として死よりも重い苦しみを引き受けたのです。
 イエス・キリストと聖母マリアを待ち受けていた運命は「受難」の苦しみでした。しかし、意味を抱いた運命は私たちも含めて誰のところにもやってくる可能性があります。逆に楽しさや嬉しさを感じることの出来る運命も中にはあるでしょう。とはいえ、楽しいことや嬉しいことは人間的限界を超える必要もなく自ら進んでやってしまえるものです。むしろ、私たちがイエス・キリストや聖母マリアの心と出会い、先にその運命を乗り越えた彼らから力を貰う必要があるのは、まさに苦しみの裏にある意味を摑もうとする時でしょう。執行草舟も、「幸せになりたいと思うな。不幸になりたいと思え」と日頃から言っています。それは、肉体的弱さに捉われる私たちは、そうでもしなければ不幸(のように一見見えてしまう運命)の裏にある本当の意味、本当に人間の心を生かすものを摑み損ねてしまうからなのです。
 今回は草舟推奨映画の中から一作品をご紹介しましたが、現在WEB版「見よ銀幕に」にアップされている作品数は760作品もありますので、それぞれの運命に導かれる良作との出会いを楽しんで下さい。また、書籍版『見よ銀幕に』には各映画のあらすじも載っておりますので、そちらも併せてご活用頂ければ幸いです。
 

「Pasión -受難-」 戸嶋靖昌 画
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