菌の物語

第4巻
第7話ディオニュソスの再臨

「…その昔、この大地の神は誰の眼にも明らかなように、忌わしい迷誤を正し、瞬時にして正しい道と場所を命じ、各々のあずかるべき事柄を定めた…」

ドイツの詩人ヘルダーリンはギリシア神話に傾倒していたことで有名ですが、そのギリシアの神々の中でもとりわけ酒神ディオニュソスに深い思い入れを持っており、冒頭の言葉はディオニュソスの偉大さを謳ったものです。ディオニュソスは、快楽と狂乱の神として、大神ゼウスと、ギリシアの都市国家テーバイの王女セメレーとの間に半神半人として生まれました。

ディオニュソスの母セメレーは、ゼウスの愛人であったために、正妻であるヘーラーの怒りを買います。嫉妬に狂う彼女に唆されて、セメレーは、ゼウスに神としてのそのままの姿で自らの前に現われるよう誓わせます。しかし、雷霆を伴い、強烈な閃光を纏うゼウスの真の姿を見る事は人間には到底耐えうるものではなく、セメレーは光に焼かれて死んでしまいます。セメレーの死を目の当たりにして悲嘆に暮れたゼウスですが、彼女のお腹に宿っていた子供だけは何とか救い出し、自分の腿の中に隠して育てました。

その後、ディオニュソスはセメレーの姉妹であるイーノ―の下、人間界でひっそりと暮らしますが、嫉妬深いヘーラーの追撃の手は止むことがなく、彼はその青春を、追っ手を逃れての放浪の内に送ります。そして、安住を求めた果て知れぬ旅上に訪れた町々で、彼は次第にその両極端な性格を露わにしていきます。自分を受け入れ、歓待した集落には、寵愛とその証拠である葡萄酒の作り方を授け、その逆に、自らを拒絶し軽んじた者には狂気を与えて自滅させたのです。こうしてディオニュソスは、人々から熱狂と畏怖の念とを集めていくことになります。人間にとって最も慈愛に溢れ、又最も恐るべき神、ディオニュソス。一般的には、後者の血腥い負のイメージが強いこの神ですが、ヘルダーリンはこの神の光の面である崇高さと創造性に希望を見出しました。彼が各地で葡萄の作り方を教え、更には酒―発酵食品―の作り方をも伝授していたことは、破壊とは対極に、人類文明の根源を形成していたことが伺えます。

古来、繁栄した民族は、一つの例外も無く独自の優れた発酵食品を持っています。また、覇を成した民族は、例外なくある種の「狂気」も持ち合わせていました。そして、いつしか人々はこの狂気に「憧れ」という名を付けました。自らを抗い難く行動に突き動かす何ものか。これこそが、光輝く「憧れ」であり、その「憧れ」は、表裏一体の「狂気」によって支えられています。この、自らを突き動かす力と、発酵食品との間には、強い結びつきがあるように思われてなりません。

ヘルダーリンの活躍した十八世紀は、ルネサンス期に萌芽したヒューマニズム思想の広がりによって、自己を神とした人々から崇高さが失われゆくことを苦悩していました。しかしヘルダーリンはディオニュソスに人間の再起を見出し、再び人本来のあるべき姿を求めたのです。

その十八世紀から時を経た現代。今や人々は完全に神々を忘れ去り、彼らからの授け物であった発酵食品は、ほとんど全てが、添加物まみれで味だけがそれらしく整えられた「発酵風」食品に置き代わっています。人間はますます小利口になり、偉大さを生み出す「狂気」は地上から消え去りました。病名、患者数共に近年急速にその数を増やしつつある様々な精神疾患は、その紛れもない証左であるように思えてなりません。これら精神疾患の原因には、腸の健康状態が大きく関わっている事が、最新の研究で明らかになってきています。そして、この腸の健康を左右するものこそが、良質な発酵食品なのです。

人間が再び遠い憧れに向けて突き進むためにも、今こそ私たちはディオニュソスの傍らに立ち戻り、彼の寵愛の下、真の「発酵」と「憧れ」を取り戻すべきではないでしょうか。